佐藤栄佐久氏は、知事に就任した翌年の1989年に、原発事故の報告が遅かったことから、原発に疑問を持ち始めました。
1998年にプルサーマル計画を了承した後、東電のトラブル隠しが発覚。了承を撤回して、2006年7月まで原発稼働を拒否しました。
東電の社長に会って原発の稼働を認めると、9月に実弟が県工事の談合で逮捕され、道義的責任を取って9月28日に知事を辞職。
ところが10月23日、佐藤氏も収賄容疑で逮捕されたのです。
そこから関係者を東京に呼びつけて厳しい追及が行われて2人が自殺。事件を早く終わらせようと佐藤氏は虚偽の自白をしました。
裁判では容疑を否認し、2009年に『知事抹殺―つくられた福島県汚職事件』を出版して、日本を支配する原発ムラは「ここまで仕組む」と告発したら、原発事故が起きたのです。
2012年10月、最高裁で「収賄額ゼロ」、懲役2年、執行猶予4年の刑が確定。この判事の一人は、逮捕した検察官の上司でした。
享年85歳。
3月19日 原発に反対し、知事を抹殺された佐藤栄佐久氏が老衰死
